能登半島地震と豪雨で二重に被災した石川県輪島市の県立輪島高校の生徒らが、東日本大震災からの復興に学ぼうと宮城県内の震災遺構などを訪れた。ガイドらの話を聞き、「輪島の復興に役立てたい」という。
輪島高校の東北震災復興研修は9月26~28日、県内の被災地であった。研修を希望した1~3年の生徒13人と教員が参加。27日は石巻市で二手に分かれ、震災遺構の旧大川小学校と旧門脇小学校を訪ねた。
2011年3月の震災で8・6メートルの津波に襲われ、児童74人と教職員10人が亡くなった大川小では「大川伝承の会」のガイド三條すみゑさん(66)が、津波の猛威を伝える旧校舎などを案内し、何が起きたのかを語った。
この地域では過去の地震から「ここには津波は来ない」と逃げようとしない住民もいた。「誰かを助けようとして亡くなった人もたくさんいた。そんなことはしないで、逃げてください」
三條さんは海側の長面地区の自宅が津波で流され、高校3年生の三男を亡くした。メールで連絡が取れ、「津波警報が出てるから逃げろ」「そっちに向かってるから」と送った。後で聞いた話だが、三男は母の帰りを待っていて逃げ遅れたと知り、自責の念に駆られた。亡くした息子と同年代の高校生を前に、涙ながらに話した。
大川小の体育館の裏に山がある。「山に逃げっぺ」と訴えた子どももいたが、先生は子どもたちを校庭に長く待機させ、山ではなく川の方に向かって避難させ、津波にのみこまれた。
「間違った判断をした。全員が助かったかもしれない裏山があったのに、なぜ逃げなかったのか。悔しい」
輪島高の生徒は「先生の指示で子どもが亡くなったのは衝撃だ」「津波が予想以上の高さで驚いた」「地震や津波はいつくるか分からない。着替えなどを用意しておきたい」と話し合った。三條さんは「皆さんは輪島復興の大事な担い手です。キーパーソンになってください。交流し、つながっていきたい」と励ました。
1月の地震で自宅が全壊し、9月の豪雨で仮設住宅が断水。祖母宅から高校に通う2年生の宮腰大地さん(16)は「避難場所はいくつも確保し、周りの人と話し合っておきたい。東日本の復興を輪島の復興につなげていきたい」と話した。
山崎裕貴教諭(28)は「生徒を守る責任がある立場。避難経路を確認し、身を守ることを第一に考えたい」と話した。
女川町の復興、災害科学科がある多賀城高校、名取市の「ゆりあげ港朝市」でも研修した。(柳沼広幸)